椎の木湖とともに   大山 修一
 

第五話 椎の木湖に訪れた試練

椎の木湖が平成3年12月21日にオープンしてから、当初は、私もブレザーにYシャツ・ネクタイ姿で釣堀受付に立つことがあった。しかし、それはほんの少しで、私の軸足は、依然としてゴルフ場にあった。会社の主軸を成す事業となるであろうこと、そして、その成功が会社の継続と繁栄につながることはよくよく解っていながら、釣りの世界がまるでゴルフとはかけ離れているようで、すんなりと馴染むことができにくかった。それに、東日本レイク(株)社長として桑原氏が前面に構えていてくださったことで、私の心のどこかに甘えが生じていた。釣堀経営は、まだ私にとって、他力本願の域を越えるものではなかった。

それでも、そんな私のいい加減さに反して、誠に幸いな事に、オープンより二年間は、経営としてもまずまずの成績を残し、しごく平穏に過ぎた。椎の木湖の名が浸透していったのか、来場者数も徐々に増えてきていた。そして遂に、翌年(平成4年)の12月には、それまでで一番多くの来場者数を数えるまでに至った。

この時期に私たちの頭を悩ましていた最大の問題は、”魚が沢山死ぬ”という事だった。キャッチアンドリリースで毎日多くのへらが釣られるのだから傷つく数も多いわけで、沢山死んでいくことは必然であった。しかし、毎日毎日早朝の桟橋でその光景を目にし、それを処分する身には、非常に切ない問題であったのだ。

ちょうどこの頃に、小林企画を通じて、東海エレクトロニクス製のオートトという自動計量器の話が持ち込まれた。従来の、フラシを使って釣り上げた魚の重量を計るのではなく、コンピューター制御の器械で行うというものだった。また、その結果は、桟橋の個々の座席の計量器から、クラブハウスのホストコンピューターに、逐次伝送されるしくみとなっていた。これならば、確かに魚への負担も軽減されるし、釣果が一目瞭然に解って、お客様にも喜んでいただけると思えた。何と言っても、これからの時流にマッチしている。

しかし、問題は価格とコストである。小さな経営母体の釣堀には、高すぎる投資でもある。連日、社長・私・役員による協議が行われた。導入するメリットとデメリット、どのような方法をとれば実際に経営として成り立つのか....。もし導入すれば、これは大きな賭けでもある。吉と出るか凶と出るか、確信を持てるものは誰もいなかった。熟慮に熟慮を重ねて、とりあえず全席ではなく(とはいえ大型例会に対応できる数)、416席中300台の導入ということで、決断が下された。しかし、そのためにはどうしても、それまでの入場料2000円から2500円への、500円の値上げが必要となった。色々な懸念は残ったが、やるとなったらどこよりも先駆けて行うことが良いに違いない。早速、平成5年1月、自動計量器オートは椎の木湖にはじめて装備され、登場した。

結果は−−−、芳しいものではなかった。

まず、500円の値上げが大ブーイングをくらった。実際、受付で”入場料2500円”と言った瞬間、”それならいい!”と帰ってしまわれたお客様が沢山いらした。覚悟していた事とは言え、500円の重みというものを、この時ほど感じたことはなかった。

これからしばらくの間、入場者数は下降線を描き続けた。

(メルマガ椎の木湖2002年7月号原文掲載)

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